*script by KT*

延命治療について考える ①2013年06月04日

父のパーキンソンが発症してから、約7年が過ぎた。

昨年末、呼吸停止で救急搬送され呼吸器とりつけ。
2カ月、救急治療室で過ごした父。
呼吸器が、昼間は外せるまで回復したので
かかりつけの神経内科の先生の居る病院へ転院した。
今年の2月の雪の降った日だった。

そして4月。
退院の準備となった。
自分の足で15mほど手すりを使ってだが歩けるようになった。
食事もなんとか普通食。

父は「自分の家に帰りたい」と、望んでいたが
世話をしなければならない父の奥さんは拒否。
自分では面倒みれないと。

父は、もう少しリハビリを頑張って自宅に戻れるようにすると
決心し、療養病院に転院することに決めた。

4月2日夜に病院からの呼び出しの電話。
父がこん睡状態だと。

急いで病院へ向かう。

頭の中は{どうして?}と疑問だらけ。
なぜなら、その日の昼間に、私は元気にリハビリしている
父の姿を見ていたから。
療養病院へ移り、リハビリ頑張ると言うほど元気になっていたから。

病院に着くと、ナースステーションは誰もいなかった。
一部屋だけ、やけに騒がしく看護師が出入りしている。
もしやと思い、その部屋に行ってみると
いろいろな機械が持ち込まれ、沢山のドクターに囲まれ、
バタバタと延命処置がとられていた。

今回は、呼吸器は取り付けないで!と言いたかったが
既に処置が終わるころだった。
急性期治療の病院だから、見殺しにはできないようだ。
父は意識がしっかりしているので、どちらを選択してもつらい。

またもや呼吸器が取り付けられてしまった。
身体も拘束されて、体中にいろいろと取り付けられた。

ドクターは、原因が分からないと。
看護師が部屋に行ったときには意識が無かったと。
血糖値が30に下がっていて危険だと。

しかし、なんとか復活。一命を取り留めた。
そして本人の希望もあって、3日後の4月5日。
SYOUちゃんの入学式の日に、呼吸器が外されていた。
ランドセル姿を病室に見せに行ったら、顔がすっきりしている。
SYOUちゃんを見て笑っていた。
記念写真も撮った。
このまま回復に向かうと思っていた。

翌日6日の昼。
またもや病院から呼び出しの電話が鳴った。
また意識が無くなったと。

今度は、もう多臓器不全になってしまったのか?
病院へ着くと、呼吸器付けられ、意識は戻っていた。

が、血管が弱りすぎて点滴の針が入らない。
父の体中を、あちこちと刺している。
見るに堪えない。

4日前の元気な姿は何処にもない。
一日前の笑顔も無くなっている。

またもや延命処置。
身体の自由は全くない。
この状態で父は幸せなのか。

私の弟二人は、延命処置を拒んでいる。
私も基本的に、延命処置は必要ないと感じてる。
しかし、意識がしっかりしている人をこのまま逝かせる事が
出来なかった。
そして、病院に入院している限り、選択の余地も無かった。

急性期治療の病院に入院している間は
どんなことをしても「助ける!」と言うことだ。

植物人間になるまで、生きながらえるということだ。

父は、今病院のベッドの上で、何を生きがいにしているのか。
どこに向かって頑張ればいいのか。
私には、父の悲しそうな瞳から推測する事しかできない。